Masuk第28話 常陸から茨城国へ
龍之介には、今世でどうしても成し遂げたいことがあった。
前世において、故郷である茨城県が都道府県魅力度ランキングの最下位に何度も選ばれていたことが、百歳で生涯を終えるまで悔しくて仕方がなかったのである。
前世の茨城県も、決して貧しく、何もない土地ではなかった。
広大な農地を持ち、野菜や果物の出荷量は全国でも上位に入る。沖合には寒流と暖流が交わる豊かな漁場があり、海産物にも恵まれていた。
工業面でも「世界のHIT●CHI」と呼ばれる大企業があり、鹿島には巨大な工業地帯が築かれていた。常陸牛や豚肉、鶏肉にも優れたものがあり、蕎麦にも最高級と呼ばれるブランドが存在する。
古い歴史と豊かな自然を持ち、海も山も湖もある。それにもかかわらず、なぜか魅力度だけは低く見られてしまう。
龍之介には、その評価がどうしても納得できなかった。
(前世では魅力をうまく伝えられなかったのかもしれぬ。ならば今世では、誰にも見過ごせぬほど豊かな国にしてしまえば
第28話 常陸から茨城国へ 龍之介には、今世でどうしても成し遂げたいことがあった。 前世において、故郷である茨城県が都道府県魅力度ランキングの最下位に何度も選ばれていたことが、百歳で生涯を終えるまで悔しくて仕方がなかったのである。 前世の茨城県も、決して貧しく、何もない土地ではなかった。 広大な農地を持ち、野菜や果物の出荷量は全国でも上位に入る。沖合には寒流と暖流が交わる豊かな漁場があり、海産物にも恵まれていた。 工業面でも「世界のHIT●CHI」と呼ばれる大企業があり、鹿島には巨大な工業地帯が築かれていた。常陸牛や豚肉、鶏肉にも優れたものがあり、蕎麦にも最高級と呼ばれるブランドが存在する。 古い歴史と豊かな自然を持ち、海も山も湖もある。それにもかかわらず、なぜか魅力度だけは低く見られてしまう。 龍之介には、その評価がどうしても納得できなかった。(前世では魅力をうまく伝えられなかったのかもしれぬ。ならば今世では、誰にも見過ごせぬほど豊かな国にしてしまえばよい) その思いが、龍之介を常陸、上総、下総、磐城の領地経営へ駆り立てていた。 龍之介の領地は、朝廷と安土幕府への貢献を重ねるにつれて、さらに広がっていた。 関東の仕置きが落ち着いた後、房総半島南端の安房も三上家へ与えられたため、房総半島のほぼ全域が龍之介の支配下に入ったのである。 前世の地図で表せば、千葉県の全域に茨城県と福島県浜通りの一部を加えた、南北に長い領地となる。(これはもう、チバラキ県どころではないな。千葉から磐城まで、すべて合わせて茨城にしてしまった形ではないか) そのようなことを考えていた龍之介は、ある日の評定で、家臣たちへ一枚の大きな絵図を示した。 絵図には常陸、上総、下総、安房、磐城が描かれ、主要な城、港、街道、河川が色分けされている。水戸城へ集められた家臣たちは、龍之介が何を話すつもりなのか分からず、静かに次の言葉を待っていた。「これまで我が領地は、常陸、上総、下総、安房、磐城と、それぞれの国名で呼ばれてきた。しかし、領地全体をまとめて呼
第27話 常陸国での生活 水戸城が完成してから、龍之介の生活には一定の周期が生まれていた。 二か月間は常陸国に滞在し、水戸城を拠点として領内の政務を行う。その後の一か月は嵐山城と近江八幡城で過ごし、その間に御所へ参内するとともに、安土城へ登城して信長や信忠と国政について話し合うのである。 常陸と畿内の移動には、主に海路が使われた。 鹿島港か日立港から蒸気機関を備えた鉄甲双胴船へ乗り、太平洋を南下して紀伊半島を回り、堺の港へ入る。そこから先は、整備された運河や街道を使って京や近江へ向かった。 陸路だけを使うより速いうえ、道中でも船内で書状を読み、家臣たちと評定を開くことができる。多少の荒波に揺られることはあったものの、忙しい龍之介にとって、移動にかかる時間まで政務へ使えるのは大きな利点だった。 常陸にいる間、龍之介は朝早くから家臣たちの報告を受け、街道や水路の整備、農地の開墾、鉱山と造船所の運営に関する指示を出した。 昼餉を取る時間を忘れ、歩美に叱られることも珍しくない。「旦那様、また昼餉へ手をつけておられませんね。朝から同じ姿勢で絵図をご覧になっていては、体を壊してしまいます」「あと少しで、那珂川沿いの新しい水路が決まりそうなのだ。ここへ堰を設ければ、三つの村へ水を引けるようになる」「その三つの村を豊かにする前に、旦那様が倒れてしまわれては困ります。続きは召し上がってからになさってください」「冷めてからでも食べられるぞ」「温かいうちのほうがおいしいに決まっております。政務を中断なさらないのであれば、絵図の上へ膳を置かせていただきますよ」「それだけは困る。せっかく書き込んだ水路が、汁物で大洪水になってしまうではないか」「でしたら、素直にお休みくださいませ」 穏やかに微笑んでいるものの、歩美が本気で言っていることは、その目を見れば分かる。龍之介は家臣たちの前で妻に負けたことを悟り、苦笑しながら筆を置くしかなかった。 日が暮れて政務を終えれば、今度は家族と過ごす時間である。 龍之介は正室の歩美をはじ
第26話 水戸城完成 常陸国における龍之介の本拠地、水戸城の大改修がついに完了した。 普請が始まってからというもの、水戸の町では槌やのみの音が絶えることなく響き、各地から集められた石工や大工、鍛冶師たちが昼夜を分かたず働いてきた。もっとも、龍之介は工事を急ぐあまり人夫を酷使することを許さず、農繁期には農民を村へ帰し、賃金で雇った職人を中心に普請を進めさせていた。 それだけに完成まで多少の年月を必要としたものの、水戸城は関東管領の本拠にふさわしい、堅固な城として生まれ変わったのである。 完成の日、龍之介は柳生宗矩や普請を任せた家臣たちとともに、城内を見て回っていた。 一行が城壁の上へ上がると、北にはゆったりと流れる那珂川が見え、南には日の光を受けた千波湖の水面が広がっている。その間には整然と区画された城下町があり、新しい屋根が幾重にも連なっていた。「見事な城が完成いたしましたな。以前の水戸城を知る者が見ても、ここが同じ場所だとは信じられぬでしょう」 宗矩が感心したように周囲を見渡すと、普請奉行を務めた家臣も誇らしげに胸を張った。「佐竹家が使っていた頃の建物は、残せるものだけを移築いたしました。しかし、縄張りから城壁に至るまで、ほとんどすべてを殿の御指示に従って造り直しております。まことに、日の本のどこにもない城となりました」「日の本にないのは当然であろう。この形の城が日本で造られるのは、本来ならば、まだずっと先の時代だからな」 龍之介はそうつぶやいたが、二人には意味が分からなかったらしく、そろって不思議そうな顔をした。 龍之介が前世で知っていた水戸城は、水戸徳川家の居城であった。 徳川御三家の一つと呼ばれながらも、壮麗な天守や高い石垣を備えた城ではなく、土塁と堀を中心に三つの曲輪を連ねた、比較的質素な城郭だった。 もちろん、それには理由がある。 水戸徳川家の藩主は江戸に常住することを求められ、一般の大名のような参勤交代を行わない、特殊な立場にあった。将軍家に何かが起きた際には、江戸にいる直参旗本たちをまとめる役目を担うとされていたためである。
第25話 西洋が敵に? 天下統一を果たした日本の急速な発展は、遠く海を隔てた西洋諸国からも注目され始めていた。 日本を訪れていた宣教師や商人たちは、各地で目にした変化を詳しく書き記し、何通もの書状に分けて本国へ送り続けていた。 そこに記されていたのは、長い戦乱を終わらせた織田信長という天下人と、彼に協力する左大臣、三上龍之介正圀の存在だった。 極東にある島国が、国内を統一したことだけならば、西洋の王たちもさほど驚かなかったかもしれない。世界のどこかで国が興り、また滅びることなど、決して珍しい話ではないからである。 ところが、日本は天下統一からわずかな間に、鉄で覆われた巨大船へ蒸気機関を搭載し、風がなくとも自ら進める船を海へ送り出し始めた。 西洋のどの国にも、まだ存在していない船である。 しかも、織田信長は周辺の国々へ大軍を送り、武力によって領土を奪っているわけではなかった。 現地の支配者と交渉し、使われていない島や小さな港を正式に買い取る。そこへ倉や船着き場を造り、自国の商船を守るための砦を築くと、食糧や水、燃料を補給する拠点として利用する。 新たな港を手に入れれば、そこからさらに遠くへ船を送り、次の寄港地を得る。土地を広く支配しないため、統治に多くの兵や役人を置く必要もなく、現地の反乱に悩まされることも少なかった。 信長と龍之介にとっては、外国との交易を安全に行うための政策にすぎない。 しかし、西洋諸国から見れば、蒸気機関を備えた鉄甲船が寄港できる日本の拠点が、海上へ一つずつ増えていることになる。小さな点にすぎなかった拠点が航路によって結ばれれば、やがて大きな支配力を持つことは明らかだった。 さらに、日本は各地との交易によって急速に富み始めていた。 日本からは銀、銅、鉄、刀剣、絹織物、陶磁器、漆器、茶などが運び出され、外国からは香辛料、砂糖、薬、硝石、書物、天文器具などが持ち帰られる。 得られた富は新たな港や造船所の建設へ使われ、日立や鹿島の造船所では、蒸気機関を搭載した鉄甲船の建造が次々と始まっていた。 日本へ滞在してい
第24話 信長、海外へ 天下統一を成し遂げた織田信長は、関白の職を嫡男である織田信忠へ譲った。 朝廷も信忠の関白就任を認め、今後は織田家が関白職を受け継ぐことについても許しを与えた。この異例の継承が滞りなく認められた背景には、正二位左大臣である龍之介が朝廷と織田家の間に立ち、根回しをしたことが大きく関係していた。 龍之介は帝に対し、信忠が父の権力をそのまま受け継ぐためではなく、天下の安寧を守り、幕府と朝廷の関係を安定させるために関白職を継承するのだと説明したのである。 一方、信長は征夷大将軍の職だけは信忠へ譲らなかった。 海外へ進出するにあたり、異国の脅威から日本を守るという大義名分が必要だったからである。征夷大将軍の名があれば、信長は幕府の軍船を率いて外国へ赴き、日本の安全を守るために行動しているのだと国内外へ示すことができる。 もっとも、信長自身は外国を武力で征服するつもりはなかった。 安土城の天主で龍之介と語り合った際、信長は世界各国との交易を通じて日本を豊かにし、自らの目で世界を見て回ることを決めていた。 その最初の航海には、日本での布教活動を通じて海外の事情に詳しかったルイス・フロイスが案内役として同行することになった。 ほかにも通訳、堺や博多の商人、船大工、護衛の兵が乗り込み、信長のために新造された大型鉄甲船は、安土幕府の旗を掲げて日本を出航した。 信長が最初に向かったのは、明国の上海である。 港には大小さまざまな船が集まり、倉には各地から運ばれた品物が山のように積まれていた。通りでは信長がこれまで聞いたこともない言葉が飛び交い、絹織物や陶磁器、香辛料、茶、薬、書物などが盛んに取り引きされている。 日本の城下町とも、堺の町とも異なる光景に、信長は子供のように目を輝かせた。「フロイス、この町には、いったいどれほどの国の船が集まっておるのだ」「正確な数は私にも分かりません。明国内から参る船だけでなく、南方の国々や、西洋の商人と取り引きをする者も集まっております。上海は、海と川の双方を使える港でございますから」「なるほ
第23話 関東管領職 九州の島津家と関東の北条家が相次いで織田信長の軍門に下り、長く続いた天下統一の戦いは、ついに終わりを迎えた。 しかし、戦が終われば、それですべてが片づくわけではない。降伏した大名の処分、新たに支配下へ入った土地の統治、戦功を挙げた諸将への恩賞など、決めなければならないことが山ほど残されていた。 国分けと仕置きを決めるため、主だった織田家の諸将が安土城へ集められた。 九州征伐で大きな働きを見せた羽柴秀吉と明智光秀には、大幅な加増が与えられた。 羽柴秀吉は九州探題に任じられ、九州へ領地替えとなった。現地には島津家をはじめとする旧勢力の影響が根強く残っているため、武力だけでなく、人心をつかむ才にも長けた秀吉が選ばれたのである。 秀吉が治めていた中国地方の領地は、明智光秀へ与えられた。すでに中国探題として日本海側の統治を任されていた光秀は、瀬戸内海側を含む広大な領地を治める大大名となった。 九州と中国地方の仕置きは、多少の意見の違いこそあったものの、大きく揉めることなく決まった。 問題となったのは、北条家と佐竹家から召し上げた関東の領地である。 北条討伐において最大の功績を挙げたのが、左大臣である龍之介であることに異論を挟む者はいなかった。 難攻不落とされた小田原城の総構えを海上から破壊し、わずか二千の兵で突破口を開いた。さらに佐竹家を海から威圧して降伏へ追い込み、関東の戦を早期に終わらせた功績は、ほかの諸将と比べても群を抜いている。 安土城の広間で諸将を前にした信長は、龍之介へ堂々と告げた。「今回の勝利は、左大臣殿の働きによるところが大きい。余は、その功績に報いるため、北条から召し上げた関八州のすべてを左大臣殿へ与えたいと考えておる」 広間にどよめきが起こった。 関八州といえば、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の八か国である。それらすべてを治めれば、織田家中どころか、日本で信長に次ぐほどの大領主となる。 ところが、龍之介は少しも迷うことなく頭を下げた。「ありがたき御言葉ではござい